紅林麻雄は地獄を見るべき?拷問王の生い立ちや最期について

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2024年9月、58年前に当時の静岡県清水市で一家4人が殺害された事件をめぐっては、死刑が確定した袴田巖さんの再審(やり直しの裁判)で、静岡地裁が9月26日、袴田さんに対して無罪を言い渡しました。

Yahoo!ニュースより

今回は、袴田さんの冤罪を生むきっかけとなったと言われる人物、紅林麻雄氏について調査しました。

目次

紅林麻雄は地獄を見るべきと言われる3つの理由

紅林氏の名前をYahoo!エンジンで検索すると、「紅林麻雄 地獄」というキーワードが出てきます。

これは、紅林氏が地獄に落ちてもおかしくないと思う検索者が多くいるため、生まれたキーワードです。

なぜ、これほどまでに地獄を見るべきと言われているのか、簡潔にまとめていきます。

紅林麻雄が地獄を見るべき理由①拷問内容

紅林氏は、拷問王として有名です。

実際の拷問内容としては、非常に残酷で、

  • 焼いた火箸を耳に突っ込む
  • 殴る
  • 蹴る
  • 髪の毛を掴んで引き回す
  • 水攻め等

当時は、特に注目される事件において、犯人を逮捕・事件解決することにより、マスコミにも名刑事と褒め称えられる風習がありました。

そのため、拷問を行い、偽りの自白書を書かせ、罪のない人間を逮捕し、名刑事として、名をあげたいという思いからの行動だったのでしょう。

紅林麻雄が地獄を見るべき理由②収賄疑惑

二俣事件と言われる、冤罪で逮捕された当時18歳の少年が死刑判決を受け、のちに無罪となった事件では、収賄疑惑も浮上しています。

4人家族が惨殺された、強盗殺人事件では、少年が逮捕されたことにより、捜査は終了。真犯人を見つけ出すことは不可能とされ、操作されませんでした。

この真犯人から、紅林氏は賄賂を受け取っていたのではないかとされています。

紅林麻雄が地獄を見るべき理由③実行には部下を使う

紅林は残虐な行為を行いますが、実は直接手を下していません。

拷問には、部下を使っていたことが明らかとなっています。

紅林氏の部下は、紅林氏の存在に怯え、警察内からも批判があったにもかかわらず、宗教の教えを守るかのように、自ら冤罪を作り出す拷問を行うようになったともいわれています。

この紅林の教えが発端となり、袴田さんの事件が起こったと言われる由縁となりました。

紅林麻雄の生い立ち

紅林麻雄のプロフィール

  • 生年月日: 1908年(明治41年)
  • 出身:静岡県藤枝市(旧静岡県藤枝町)
  • 所属:静岡県警察部浜松署

紅林氏は、藤枝市に生まれ、静岡県警察に努めます。

今でいう、キャリア組のエリート刑事として、名をあげていました。

紅林麻雄の数々の表彰

そんな紅林の姦計を知ってか知らでか警察上層部や検察が紅林は優秀な刑事だとし表彰した。それが在職中に351回もあったというから常軌を逸している。

現代ビジネスより

紅林氏は、拷問により冤罪を作り上げた結果、数々の事件を解決したとして、351回も表彰されたと言われています。

紅林氏は、約30年刑事として勤めましたが、

1年におよそ10回、ほぼ毎月1回は表彰されるという異常な存在となっていました。

表彰されると、高価な記念品を受け取ることができたり、昇格することがあったため、紅林氏はこれを目指していたのでしょう。

紅林麻雄の最期

紅林麻雄の引退と最後

紅林氏は、その行いから世間や警察内部からも非難されるようになっていたようです。

人の人生を大きく狂わせ続けてきた紅林氏ですが、非難から精神的に疲弊し、1963年(昭和38年)7月に警察を退職。

同年の9月16日に脳出血により55歳で死去しました。

紅林氏麻雄の不可解と言われる死

紅林氏は退職してからたった2カ月で脳出血で亡くなっています。

それだけ自身の行ってきたことに対する非難に疲弊していたのでしょう。

しかし、世間からはこれが不審死として騒がれました。

まとめ

紅林氏は亡くなった後でも、自身が行ってきた愚行により、苦しんでいる人がいます。

袴田さんの無罪が確定した2024年、ようやく大きな冤罪事件は晴れましたが、真犯人は逮捕されることなく、月日は流れてしまいました。

被害者の方のご冥福、また冤罪とされ苦しみ続けた被害者の今後が幸せであることを祈るばかりです。

 

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